第267回 めぐる思い

あの日が巡ってきます。
2年前の3月11日午後2時46分。私は本当に久しぶりに知人との打ち合わせで東京駅にいました。
しかも何十年振りかに大丸百貨店で買い物をし、1階に到着するエスカレーターに乗っているときに異変に気が付きました。
「あれ?揺れている? しかも長いぞ・・・」

1階のフロアに降り立ったその時「ドシン!!」と本震がきました。
「キャアー!」
金曜日の午後、店内は多くの女性客の方でにぎわっていました。大きな悲鳴に振りかえると、今まで乗っていたエスカレーターが横に大きく揺れているところを、ハイヒールのまま駆け足で下りてくる女性の姿が目に入りました。
店内にある天井からぶら下がって設置された大きなガラスも左右に大きく揺れ、店内はパニックに近い状態に。

その後は皆さんもご存じのとおり、首都機能はマヒ状態に。
日も陰ってきて風の強い寒い夕方から、妻と連絡をなんとか取り合いながら、私は徒歩帰宅を選択しました。その後徒歩帰宅は危険ということで見直されましたが、どうしても歩いてみたかったのです。
興奮状態の中旧東海道を歩き始めた私がテレビを見れるはずもなく、ようやく11時ごろ横浜の鶴見で入った中華料理屋でテレビを見た私は、その日東北で起こっている惨状を初めて目にして言葉を失いました。
炎を出して燃えさかる気仙沼の街、仙台の畑を家をクルマを飲みこみながら進む真っ黒な津波。今でもあの衝撃は忘れられません。
その日は結局夜中の2時までかかり、足をひきずりながら帰宅しました。これが火災や建物が損壊していたら、おそらく辿りつけなかったであろうことをこの身をもって実感しました。

それから2年が経とうとしています。私の人生はあの日を境に変わりました。
ほとんど行ったことがなかった東北に多くの仲間ができ、そして地元横浜でも本当に多くの仲間が現れてきて今があります。

震災は悲しい出来事でしたが、私にとって人生を変えてくれたきっかけになったことは事実です。
そして人生のミッションを探しあぐねていた私に大きなエネルギーとなって今の私を支えてくれています。
だからこそ忘れるわけにはいかないのです。

週末、震災復興のイベント、そして直面するには深刻すぎる原発の問題に関するイベントなども多く開かれます。
私は米軍の「トモダチ作戦」で有名になった気仙沼の大島に、手伝っているNPOの仕事で行ってきます。
これからも忘れずに、めぐる思いを伝え、そして同じ思いをもつ多くの人と手を取り合って生きていきたいと思います。

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